陸送隊最終回です。
翌朝8時ごろ国境のネパール側チェックポストに出向いて行きました。ちょっと早いかなぁと思いましたが昨日のオフィサーはすでに出勤しておりました。ワタクシ達の顔を見て嫌そうにしておりましたがすぐにP警視に電話をしてくれたのです。ひとしきり電話で話した後オフィサーが言うには、「手違いで書類を送るのが遅れたので、昨晩S警部に書類を持たせてそちらへ向かわせたとP警視が言っている。」ということでした。ワタクシ達としては一安心です。なんぼ遅くても昼頃には書類が着くので翌日朝の贈呈式には間に合うからです。そこで、カトマンズに滞在中の本隊へ連絡です。「遅くとも本日夜にはカトマンズに到着です。」とワタクシ。「それは良かった。安心した。」と本隊。「しかし、何とか本日4時ぐらいに到着出来ないか?」と本隊。「・・・?」とワタクシ。「実は本日午後5時に王宮にてネパール国王陛下に陸送隊一同拝謁賜ることになっている。二度と無いことであるので何とかならんか。」と本隊が言うのです。ワタクシとしても国王陛下に拝謁賜るなど思いもよらなかったことですので出来うるなら4時までに到着したいのですがS警部が来ないことにはどうしようもありません。その旨本隊に告げてとりあえず報告は終わりです。ところがその約一時間後に思っていたよりも随分と早くS警部が到着、無事に通関し、カトマンズへ向けて出発できたのです。こうなったら4時までに到着し国王陛下に拝謁賜りたい、ってなもんで、我々は今度はネパールの暴走族と化したのです。サイレンを鳴らし、赤色灯を回し、走る走る。そして、4時30分ごろ宿舎に到着です。その時、使節団一同は王宮に向かうバスに乗り込んでいる最中でした。そしてワタクシ達は使節団一同に祝福されちょっとしたヒーローのようでした。何と劇的なこっちゃ!ドラマみたいやけど、これはホンマの話なのです。それからバスの中でワタクシはスーツに着替え、(居残り組のもう一人の日本人は心身ともの疲労のためその場で討ち死にで拝謁辞退でした。)王宮へ向かったのです。実はワタクシこの後のことは翌日の朝までほとんど記憶が無いのです。(ホッとして頭がフリーズしてしもたのでしょうか。)せっかく国王陛下に拝謁賜ったのにほとんど覚えていないのですからホンマにもったいないことです。そして、今一つはっきりせん頭で翌日朝救急車の贈呈式を終え、その足で空港へ向かい、はっきりせん頭で慌ただしく帰国となったのです。
あの時から20年、今となってはこの事業が本当にネパールのためになったのかワタクシ自身確信を持てずにいますが、与えられた仕事を全うできたということだけは今も自負しております。
この時ワタクシのやったことはたかだか3週間という短い期間であっちからこっちへと車を運んだだけのことですが、それでも大変でした。それに比べて現在、起業戦士として海外で活躍しているビジネスマンや、ボランティアとして頑張っている人達のご苦労はいかばかりかと思います。いつの日か無事にご帰国されることを願わずにはおれません。(同胞のなでしこや、サムライの皆さんに幸あれ!であります。)
これで陸送隊のお話しは終わりとさせていただきたいと思います。長々としょうもないお話しに付き合っていただきましてありがとうございました。(ちなみに全部ホンマの話です、ホンマにホンマやて!)
2013年3月3日日曜日
陸送隊(最終回)
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大槻先生
返信削除いよいよ最終回、一気に読ませていただきました。
それにしても劇的な幕切れでしたね。まさにヒ―ロ-です。
かなり飛ばして、現地へ時間までに到着されたようで、救急車のサイレンと赤色灯がまたまた役に立ったのですね。
この事業が大いににネパールのためになったと思います。その後、長い間、カトマンズの消防と救急医療に役立ったことと思います。拍手!!!!
また次回、インドネパールの続きをお待ちしています。
西宮市のSより
西宮のSさんいつもコメントありがとうございます。
返信削除今となっては、あの時のことは良い思い出です。しかし、あれだけ費用をかけて、ワァ~ワァ~やってでもするべきことやったかなぁという思いもちょっとあるのです。モノだけ運送会社に頼んで送ったらそれでエエのか、とも言えるし、うーん、悩ましい。ともかく、大変良い経験をさせていただいたことは今日にいたるまでとても感謝しております。
ちなみに、この時より3年後に再び陸送隊に参加しているのです。ホンマ懲りん人です。そのお話しはまたの機会に。