2013年2月8日金曜日

陸送隊 その2

本日はこの前の陸送隊のお話の続きです。なんやかんや言いながら日本を出発したワタクシ達陸送隊一同は、某自治体が送った消防車と救急車が陸揚げされるインドのカルカッタに到着しました。無理をしてやって来たワタクシは当然やる気満々です。クルマを引き取って一路ネパールへ、と意気込んでいたのですが、ここでトラブル発生です。通関に手間取ってクルマが港から出せないのです。現在はどうか解りませんが、当時のインドは大変な官僚国家で、クルマを2台通関させるのに担当の役人のサインを何十ももらわなければならなかったのです。ネパールの通関業者に通関業務を委託しておりましたが、さっぱり埒があきません。そこで我々自身が関係の役所を走り回って一つ一つサインをもらうことになったのです。ところが、インドは一年の内にお祭りが100日以上あるような国で、しかも、しょっちゅう労働争議で役所もスト、ってなわけで役所に行っても役人に会えないし、役所に入ることもできない状態でありました。(現在のインドの経済発展がウソのようです。)そんな状態ですので、予定の日程を過ぎても出発出来ずにいて一同焦っていたのです。そんな中、消防車の寄贈先がネパール王室の関係機関であった為、ネパール領事館がインド政府に掛け合ってくれたのでやっと消防車だけ特例で通関出来たのです。しかし、もうこの時点でタイムリミットです。ネパールの現地では、寄贈元の某自治体の市長以下使節団がやって来ての式典があるので、この段階で出発しないと式典にクルマが無いと言うマヌケなことになるのです。そこで、救急車はあきらめて、消防車のみ出発となったのです。救急車は数名を残し通関を急ぎ進めるということになったのですが、その数名とは、寄贈元の某自治体職員1名と寄贈先の現地病院の担当者1名、そしてなんとなんとワタクシでありました。こんなトラブルの時に、せっかく選んでもらったボランティアが全員先に行ってしまうなんて日本男児であるワタクシには出来ませんでした。これぞ、ワタクシの仕事であると思い志願したのです。(ごく稀にカッコイいいことをしたがるのです。)さて、居残りを志願したワタクシでしたが、その後通関完了までの約10日間は精神的に辛いものでした。(続く)まだまだ引っ張るぞぉ~!

1 件のコメント:

  1. 大槻先生

    陸送隊 その2面白く拝見させていただきました。
    現地人との残留隊へ志願されたのはすごいですね。3週間の期限も迫ってくるし、気が気ではなかったのではないでしょうか?
    確かに通関でトラブルのは後進国ではありがちなのでしょう。
    続きを楽しみにしています。

    さて、私日曜日に藤沢から帰ってきました。1泊で車の往復は疲れました。昨日はほとんどぐったり状態でした。
    初めての鎌倉や江ノ島なども見れたので良かったです。

    さて、私、頭を木工モードに切り替えて、今週を乗り切りましょう。

    西宮市のSより


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