木工作業において、図面から拾い出した部材を所定の寸法に仕上げることを木取りと言います。またその前の段階で木の板から所定の寸法より少し大きく切り分けることを荒木取りと言います。実はこの荒木取りこそ木工作業の中で最も重要な作業なのです。その木の特徴や木という素材の特性を考慮し、そして無駄の無い様に切り分けるのですが、これがなかなか難しいのです。最近はいわゆる良材が少なくなり以前にも増して荒木取りには悩まされる様になりました。小さな節、割れ、腐れ、見た目のあまり綺麗でない所ナドナド。中には、切ったり削ったりして初めて内部割れしていることに気付かされてしまう様な材木もあります。(木を見る目が未だ未熟であるからなのですが・・・。) そういえば、修業中、この荒木取りは親方か番頭さんがやっていましたね。私なんぞはなかなか触らせてもらえませんでした。例えば誰かに、木工とはナンやと問われた時、「適材適所に木を振り分けること」、と言っても良いのかもしれません。(思っ切りシンプルに言ってしまえば、ですけど。)
大槻先生
返信削除私たち素人にはほとんど木取りをする能力がありませんが、
先生に教えられながらなんとなく適材を選んでいる状況です。
しかし最近思うのですが、木の材料は一品一品に特長があって、個性あるのですね。姫路のクラフト展で銘木屋さんを見ていて感じました。
すみません、このページをお借りして、今見ているテレビの番組の紹介をします。
”いま面白い、不思議な南の島をテレビで紹介しています。
BS-TBSの”失われた海洋王国ナン・マドール”という番組です。ミクロネシアのポンペイという島で、昔日本軍が占領していた島で、たくさんの日本兵が残した子孫が出てきます。
サチコとマチコという名前の姉妹であったり、うらしま太郎が居たという伝説があったり、お祭りには”昨日友達、今日も友達、ずっと友達さ”という歌を歌います。
南洋の中の日本ですね。きっと日本兵は現地の人たちに慕われていたのでしょうね!
私も同じような島国にいた経験があるので、懐かしさいっぱいです。子孫は残しませんでしたが。
また彼らは素晴らしい木彫品を作ります。なたで木取りをして、最後はきれいな肌の”イルカ”や”エイ”や”シャーク”や”カメ”などの置物を作ります。
西宮市のSより
西宮のSさんいつもコメントありがとうございます。
返信削除先の太平洋戦争では旧日本軍の残虐な行為や戦争責任ばかりが取り上げられて私などはいい加減ウンザリしとりましたが南方の島では良い関係も在ったと言うことですね。
南の島で手工具のみで緩やかに木彫する、あぁ~、憧れるなぁ~!